2015年10月18日日曜日

やさぐれ上等!!

乳幼児を子育て中の重労働者諸君!
やさぐれてるかぁーい!?いぇーーい!!

乳幼児期の子どもって、本当に自由。
あれがほしい、これがほしい、もっとほしいもっともっとほしいー♪
あれも嫌だ、これも嫌だ、どうしたらいいのか自分でもわかんないー♪(というか眠いだけ~♪)
いつだって注目されたい、抱っこしてほしい、甘えたい、
でも自分の思うように動いてくれなきゃ嫌だ~♪
というね、これ以上ROCKな存在ったらないですよね。

全ての条件(生理的欲求が全部満たされていてかつ機嫌が良い時)が揃った奇跡的な時は、
あれもこれも可愛いぞ!って感じなんですが。
まぁ、面白さでいったらグズってる時も後から考えれば相当面白いんだけど。

そんなROCKなギャング達と日々過ごしているとですね、
こちらが元気で余裕がある時はいいんですが、
そうじゃない時にはね、受け止めきれないんですよねー。
そんな時は・・・・こちらもROCKでいくといいんじゃないか!?
というご提案です。
コップの水があふれて受け止められないのなら、
コップの水を全てこぼしちゃえばいいじゃない!という、織田信長的なご提案です。
乳幼児期の子育て中こそ、定期的にやさぐれる必要があるのではないか、と!

もうね、”いい母親(または父親)”とか、”子どもにとっていい環境を”とか、
無意識的につい考えちゃう事項じゃないですか。
誰しも、「絶対に悪い母親(または父親)になってやる・・・!
子どもにとって最悪の環境を目指す!」とか思いながら子育てしていないわけで。
そういう、無意識で自分に課題を課している感じ、
思い通りにいかない相手に対してがんじがらめになっちゃう感じ、
その渦に吸い込まれてしまいそうになる時って、誰しもあると思うのです。

そんな時は、星一徹ばりにちゃぶ台をひっくり返して(あくまでイメージです)
「やってられっかーーー!!」と叫ぶくらいで丁度いいのではないかと。
友達と一緒に毒舌吐きまくり、ビールとポテチでカロリー摂取しまくり、
もちろん風呂なんて入らず、ふて寝!

BGMは橘いずみの「永遠のパズル」ですね。
♪志は高く 夢は天を越えて いつかひとつになれば幸せ
そうだよね
努力が一番 向上心を忘れず 辛いことも忍耐
あきらめず
清く正しく道草もせずまっすぐ進んで壁にぶつかって
とにかく負けないで
礼を尽くして 弱き者を助け 自分を殺し 人を恨まず
わかってる よくわかってる でもできない!♪

あー、↑これ、歌詞を読んだだけだと伝わらないなー。
橘いずみさんの歌がほんとパンチ効いててかっこいいんだよね。
でもできない!!!!と叫ぶところとか、最高です。

できない事をできない!と叫ぶと、まぁそうだよねできないよね、と落ち着ける効果もあり。
さぁ、定期的にやさぐれよう!

毒を吐いて毒を注入、やさぐれ上等!
くれぐれもやさぐれNIGHTに自分を責めないように。
そして、やさぐれNIGHTにBGMに童謡とか優しい歌とか聴かないように。

これ、どこに提言すればいいかな。国会とか?(笑)

2015年8月20日木曜日

産後6年と3年、どんどん「自分」に戻っていく

18日で長男が6歳。私は産後6年。
先日、次男が3歳になったので、
産後3年でもあります。
産後6年、3年の毎日は、
まさに“今を生きる”という感じで、
その都度目の前の事にバタバタと取り組むうちにあっという間に時間が過ぎて、ちょっと前の事とかをあまり思い出せなくなってくる。

今の気持ちは今だけのもので、今大切にしないと無くなってしまうもの。
だから私は、チラシの裏にとりあえずシャラシャラッと書く気持ちでSNSに“今”を書き残しておく。ノートに丁寧に書く気持ちでblogに書き残しておく。
手帳にあれこれ書くのにも憧れているんだけど、これはまだあんまりできてないなー・・)

でもこれらは、あくまで私がある程度客観的に(多少かっこつけて)書いているもので、今の自分の姿を本当に映し出してくれるのは、動画ですねー。動画は嘘つかない(笑)
先日、長男が2歳くらいになるまで使っていた前のiphoneの写真を整理しようと動画も一緒に見ていたら、私も夫もすんごい猫撫で声で「きゃー!すごいすごい、りきゅうちゃんすごいでちゅよー!」「がんばってまちゅね!」とか長男に向かって話してて、それはもうびっくりしました・・。
えーっと、こんなだったっけ、私達?
2人とも子ども好きとかじゃないし、もっと淡々としていたと思ってたんだけど・・
と驚きつつも、あーーー、頑張ってたんだなぁーーーー、としみじみしてしまいました。

まだ“親”になりたてで、慣れないながらも一生懸命だったあの頃。
「親養成ギプス」をはめているような日々だった。
自分史上最高に高い声で、自分から出てきた小さな人とどう過ごしていけば良いのか、
毎日手探りだった。夫もそうだったと思う。

あれから6年。
声は徐々に低くなり、元の地声に戻りました。(次男の赤ちゃん時代の動画では、既に猫撫で声ではなかった
別に母親だからって声高くなきゃいけないってことないしね。
「親養成ギプス」は形を変えて存在するんだけど、着脱が容易になってきた感じ。
脱いでる時間が長くなると、また着る必要性が出てくるという面白いものです、このギプス。

どんどん「自分」に戻っていく。

子育てする日々は、自分の小ささに向き合わざるを得ない日々でもあり、
かといって「大きい自分になりたいのか?」と聞かれると、そうでもない気もする。
小さいままでいたいわけじゃない、でも、小さい自分を否定する必要もないと思っている。

そんな今の私に、この絵本の一節がとても胸に響きました。

「たいせつなこと」マーガレット・ワイズ・ブラウン作、レナード・ワイスガード絵、うちだややこ訳。
(以下、引用)
あなたは あなた
あかちゃんだった あなたは
からだと こころを ふくらませ
ちいさな いちにんまえに なりました

そして さらに
あらゆることを あじわって
おおきな おとこのひとや おんなのひとに 
なるのでしょう

でも あなたにとって たいせつなのは
あなたがあなたであること

(以上、引用)

原文の動画もぐっときました。


わたしがわたしであるって、どういう事かな。
きっとその時々で違うよね。
わたしがわたしであることも、
あなたがあなたであることも、
大切にできますように。

【おまけ】
カメラを向けるとまず変顔!
今後、笑顔の写真とかはなかなか取れなさそう・・な男子達です。



2015年8月7日金曜日

夏が好きだー!

夏まっさかり。

年々暑くなっているような気が・・。
日本の夏は、世界の中でも過ごしにくいレベルの暑さだそうですね。
じめっとしてるもんねー。

でも、それでも私は、夏が好きだー!と叫びたい。
夏の早朝が好きだ。
夏の夜更かしが好きだ。
夏の気怠さが好きだ。
夏の解放感が好きだ。
全てを暑さのせいにして、みんなが寛大になる感じも好きだ。
花火やお祭り、旅行にプール、木陰にアイスにかき氷、
夏フェスに夏の文庫フェア、そして夏休み!

輸入業務をやっていると、ヨーロッパの相手先が2ヶ月休みで1ヶ月は出荷も無し、
とかいう話に出くわしてですねー、何とも羨ましいなぁーと。
もうさー、経済成長とかあんまりしないわけだし、
夏休みをたっぷり取る方向に日本も向かってくれないかな、と思ったりして。


今年は特に夏を満喫している。
というのは・・・子ども達が元気だから!

昨年まではとにかく次男が病気がちで、保育園のプールもあまり入れなかった気がする。
週末も、夫&長男でお出かけ、私&次男でお留守番、というのが多かった。
そして、夜泣きもまだまだ激しかった。(卒乳もしていなかった)
ああ、1年ってやっぱり長いんですねー。
もう夜泣きもないし、夜中もしょっちゅうは起きないよ。早朝には起きるけど。
嬉しいなぁー・・・!
昨年の、”いつまで続くんだろ、この夜泣き・・”と絶望していた私に教えてあげたい。
あと1年以内に終わるよ!って。
(当時の私がそれを聞いたとしても、1年もかよ!と絶望は続いていただろうけど・・)

我が家は子どもが2人とも夏生まれなので、
夏は子どもたち(そして大人たち)の成長を喜び合ったり、振り返ったりする機会も多い。

来年は、長男が小学生になるし、初めての”夏休み”にドキドキオロオロアタフタするだろうなぁー。
今年は、凪のような穏やかな夏。
めいっぱい楽しんでいきます!

2015年7月14日火曜日

”雑”であっていいこと、はあまり無いけど少しある

夏到来!なんでしょうか?
つい先週まで、梅雨真っ只中だなーなんて思っていたのにね。
2週間前に、レインハットを購入し、その素晴らしさに惚れ惚れし、
もう傘いらないじゃん!これで軽やかに梅雨を過ごせるなー、
なんて思っていたので、突然の真夏日に調子狂ってますが・・・
↓こちら、雨の日スタイル。

自転車→電車→自転車、の通勤形態なので傘は面倒だし危ない。
ポンチョとレインハット、
お洒落な着こなし・・、とまでは言わないけど(笑)、
そんなに怪しくないレベルかと。
夏のゲリラ豪雨にレインハットは持ちこたえられるか、今後実験予定です!

それはさておき、外耳炎になってしまい、左耳が痛いし聴こえにくいしでブルーです。
また耳鼻科にも通わないとね・・
耳かきのしすぎが原因なのは明らかなので、自分のせいだし・・とほほ・・
で、その事を今朝上司に話した時に、
「・・雑なところがあるからな。自分の耳も雑に扱ったんだろうな・・
Yさんの耳がかわいそう・・」
と言われ、的確ー!と膝を打ちました。

いやー、何しろ、私のパーソナリティを一言で言うと、
良くも悪くも「雑」ってことでして。
ていねいさ、というのに憧れを抱きつつも、
正反対のところにいるなーという自覚はあり、
かといってそこに自己嫌悪を抱くほど気にはしていないという・・・。

そしてその上司に
「はー・・・雑であっていいことって何一つないですよねー」
と言うと、
「ないね。
新しい事を始める時以外はね。」
という言葉が出てきて。
あるじゃん!という希望が湧きまして。(単純)

確かに、雑だからこそあまり深く考えずに
とりあえずやってみようーと行動できるし、
ピンチになった時にも、ああしようこうしよう、とすぐに動けるところはあるかも。
”こんなはずじゃなかった・・!”みたいなのもあんまりないしね。
(こうなるはず、という想定が苦手だという話も・・)

自分で作る料理がイマイチ美味しくないのも、雑なせいかと思われるのですが、
かの平野レミ先生が雑だけど美味しい料理を追及しておられるので、
その路線でいけばひょっとして美味しい物も作れるのではないか、と
期待を寄せております・・。

まぁそれはさておき、外耳炎、早く治したいなぁー。
自分の身体に対して雑になるのはいかんですね。

2015年5月3日日曜日

さよなら、リアル産後

先日、私の母方の祖母に会いに、徳島旅行へ行ってきました。

徳島は・・・うどんが美味しかった!(写真撮り忘れた)
ちゅるちゅるうどん(柔らかいうどん、のど越し爽やか、食べやすい)
テーマーパーク内のうどん、サービスエリアのうどん、
どれも美味しかったー!!
昔、瀬戸大橋がまだ無い頃、連絡船で高松に向かってから
徳島に行っていた頃、連絡船で食べるうどんがとっても美味しくて楽しみだった、
そんな幼いころの記憶が蘇るうどんの美味しさでした。

今回の旅行は、断乳後初めての旅行!
(年末に断乳し、2年4か月に及ぶ授乳が終わったのでした・・
長かった・・!!)
授乳中はやはり抱っこ、おっぱいー!で、
旅行中も私が抱っこする事が多かった気がするのですが、
今回はもう断然父親っ子達で。
長男(5歳8ヶ月)が女風呂を嫌がるようになり、
次男(2歳8ヶ月)はお兄ちゃんと一緒がいいー!となり、
私は1人ゆっくりお風呂。
その流れで、ご飯も夫の膝で。

寝る時やリラックスしたい時に、次男はまだおっぱいを触らないと
気が済まないのですが、寝かしつけも随分ラクになった。
夜はぐっすり・・とはまだ行かず、ちょいちょい起きたりするけれど、
理由のよく分からない夜泣きが毎晩続く恐怖からは解放された。

言葉を話すようになり、コミュニケーションが容易になって
兄弟でいっぱい遊ぶようになり、
また子育てのステージが変わってきたなーという事を実感中です。

産後、2年8ヶ月。
ここまで来るのは、やっぱり、長かったなぁーーーーーーー。
↑おおよそ2年前の写真。
長男に甘える次男、当時8~9ヶ月くらい。

夜泣き全盛期の頃、手足口病になって本人も辛いだろうけど
世話するこちらもキツくて、
夜中の3時くらいに泣き叫ぶ次男を夫に手渡し、
「散歩!散歩してきて!!」と懇願した事もあった。
(夫は何も言わず、外に連れ出してくれたので少し眠れて、
正気を取り戻した)

添い寝から少し離れた途端に泣き出すので、一息つく暇もなく、
仕事に向かう電車の中の1人時間が本当に幸せだった。

「今が一番大変だろうけど可愛い時期。大切にしてね。」
というメッセージにはイラッとした(笑)

今この時を大切にする事と、
辛い気持ちを我慢する事、無かった事にするのとは違うと思う。
やっぱり産後って辛い事がたくさんあった。
とても1人ではやりきれない。
正気を失う瞬間がたくさんあって、
でもその都度何とか自分を取り戻していく。
それにはきっかけが必要で、そのきっかけは自分以外の大人や
外からの刺激なんだよね。

1人ではやりきれないからこそ、たくさんの人の力を借りて、
子ども達も大きくなっていく。
それが当たり前であってほしい。

今回の旅行で、あー、リアル産後は終わったなー、
とビールを飲みながら思った。

ああ、私は忘れてしまうだろう。
このひりひりとした気持ちを。
”母親”を神格化する世間の波への怒りを。
分からないなりに一生懸命赤子と向き合い、
自分の中で最大限に優しい声で話しかけていた日々を。
(夫もそうだった。それはまるで子育て養成ギプスのようだった。)

産後の気持ちを綺麗さっぱり忘れてしまったとしても。
「この頃が一番大変だけど一番可愛い時期。大切にしてね!
今しかないよ!」
という呪いの言葉をかける大人にはならないようにしようと思っています。

いつだって、子どもの、そして自分の”今”を
一番可愛がれるようにしたいと願っているので。

さよなら、リアル産後。

2015年4月4日土曜日

「大きくなったら何になりたかった?」

お風呂上がりに、長男5歳半から
「大きくなったら何になりたかった?」と聞かれました。

・・えーっと、なんで過去形なんだ?私の人生まだ終わってないし!
バカヤロー、まだ始まっちゃいねーよ(byキッズリターン)って気持ちなのにー。
いや、始まってはいるか。
で、頭をフル回転させて、幼少期からいわゆる”〇〇になりたい”という夢を
抱いた事はあったっけかなーと考えてみたのですが、
んー、ないなー、と。

漫画が好きだったので漫画家になりたい、とか言って
Gペン買ったり、「みほクラブ」描いてたりはしたけど、
でもそれは”夢”的なものではなかったように思うし。

高校時代の進路を決める面談でも、
「図書館司書になりたい」と言った次の日には
「やっぱり英語学科で!」とか言ってたし。」
今日の続きは明日だと思っているうちに大人になった、という感じ。
気付いたら就職活動する年齢になって、
一応自己分析とかしてみたけど、その結果がどうだったか・・
今は思い出せないくらい。
で、結局、ざっくり言うとフィーリングで入った会社で今も働いているという。。。

いや、そもそも、「〇〇になりたい」って、職業を指すのはなんで?
いやでも、女子が「およめさんになりたい」とか
「おかあさんになりたい」っていうのもあるか。
それは役割であって職業ではないよね?
「おむこさんになりたい」「おとうさんになりたい」は聞かないよね、あんまり。
こんな小さいころからジェンダー問題は始まっているのねー・・・
まあそれはひとまず置いておいて。
長男の問いかけに答えないとね。
「大きくなったら”何か”になるわけじゃないし、
ならなきゃいけないってもんでもないんだよ。
お母さんはさー、毎日楽しく暮らす人になりたかったし、なってるよ。
お母さんの人生まだ続いてるし。」
と答えました。

答えながら、そうだ、私はそうありたいんだ!と自分で腑に落ちる。

人それぞれ、大事にしたい事は違うと思うけど、
私にとっては「楽しいか」「楽しめるか」がとても重要なことで、
そのためには自分が何を「楽しい」と感じるか、を知っていないといけないし、
それを「楽しむ」コンディションを整えなくてはいけないし、
そのコンディションは自分1人では作れないからコミュニケーションも欠かせない。

そして、夢があってもなくても、
どんな職業に就いても(または就かなくても)
”どうありたいか?”という問いの方が、見えてくるものは大きい気がする。
1人頷く私を尻目に、
長男は分かったような分かってないような顔をして
「ふぅーん・・・。理久はねー、大きくなったら、仮面ライダードライブプロトドライブになりたい!
あ、やっぱりニンニンレッドかなー・・」と悩みながら、
その修行をするために弟とたたかいごっこにいそしんでおりました。

↓洗濯バサミで悪役の皮膚感を演出する長男と、
そこに風船の剣で切り込む次男。本気だぜ!

2015年3月25日水曜日

Googleインパクトチャレンジで、マドレボニータを応援!【一般投票、今日〆切!】


「産後ケア文化をつくる」というチャレンジを掲げ、NPO法人マドレボニータが
Googleインパクトチャレンジのファイナリストに選ばれましたー!!

1クリックで投票できます。

投票先はこちら

 Googleインパクトチャレンジとは・・(Googleウェブサイトより一部引用)

Google インパクトチャレンジは、様々なテクノロジーの活用を通じ、
社会問題の解決にチャレンジする非営利団体を支援するプログラムです。
インド、ブラジル、英国、米国、オーストラリアで開催されてきて、
日本でもいよいよ開催することになったとの事。

日本独自の取り組みとして、
テクノロジ-を活用した女性支援の取組みを表彰する「Women Will」賞
も創設したとの事です。

本日、325日までこのサイトで一般投票
326日に受賞者が決まるとの事です!
個人的には、この「Women Will」賞は、マドレボニータのためにあるような賞じゃん!
と思っております(^^)

そのプランはこちら。

いまだ「産後ケア」の重要性が認知されておらず、産後ケアの不足が、
様々な問題を引き起こしているという現状を受け、その認知を高め、
産婦だけでなく、周囲の人も巻き込んだアイデアです。

妊産婦に対して、家族や友人が、産後ケアを出産祝いとしてプレゼントできる。

ついでに産後ケアについても学べてしまう、というシステムをつくる。

名付けて、産後ケアバトン+(プラス)

「産後ケアバトン+」の詳細はこちら
これが実現したら、いままでの何倍もの人に、
産後ケアを届けることができるようになります。

いやー、楽しみですねー。
これ、既にプレゼントしたい人がたくさんいるー!

そして、こんな風に投票理由を書いて写真を撮り、SNSで発信、
という応援方法でマドレ界隈は大変盛り上がっています。

私の#Vote4Madreはこちら。
















たくさんの理由がありすぎて悩んでいたのですが、
やはりシンプルにこれに尽きるかな、と。

子育てしかり、介護しかり、“家族のことだから”と、
家庭で抱え込みすぎている、そこに歪が生じている。
それが現代日本の大きな社会問題の一つだと思います。

どうして家庭で抱え込みすぎてしまうのか?
それは、“そうするのが当たり前”という風潮があり、
その風潮に抗うためには体力・知識が必要だから。

個人の問題は社会の問題。

ということは、社会の問題は個人の問題でもあるわけで。
個人の問題を解決する気持ちで、社会の問題にも取り組んでいく、
それが“社会と繋がって生きていく”という事に
つながるのではないかな、と思います。


テクノロジーの力で、社会をよくするスピードを上げる、
というGoogleのメッセージに、力強さを感じます。
たくさんの方の目に、このGoogleインパクトのメッセージが留まりますように!
そして、マドレボニータへの一票を通して、
産後問題について考えるきっかけとなりますように!!


2015年3月10日火曜日

産後クラス2010年1月メンバー同窓会!

あれから5年が経ったんだなー、と感慨深い、産後クラス赤羽メンバーの同窓会でした(^^) あと1人、りんちゃんも上京予定だったけどお子さんの体調不良で会えずに残念!

子ども達も5歳になり、最初は恥ずかしくて隠れたり、でも広場に出たら走って遊んで、成長しました。
赤ちゃんの頃、抱っこされながら母達が体力や言葉を取り戻していった姿、覚えていないだろうなー。
あの時があって、今があるんだよー。

話しながら思う、転機のない人生は無いことを。
転職、転勤、出産は分かりやすい転機だけど、それ以外にも、日常は転機と機会に満ち溢れていて、私達はいつも何かを選びながら生きている。意識的にも、無意識的にも。

不安と期待と心配と喜び、いろんな気持ちにその都度揺れ動きながら、その気持ちをそのまま伝えあえるのって、いいなーと思う。
話している内容は、世間話なんだけど、しょっちゅう会っているわけじゃないんだけど、なんか安心して話せるのが嬉しい(^^)

次回は産褥ヘルプで再会予定ー!
無事な出産を祈ってます。


2015年2月22日日曜日

少女漫画の呪縛とパートナーシップ③~嫌われる勇気~

最近、ふとしたきっかけで高校時代の友人達にブログの存在を伝えたところ
(多分以前にも伝えたんだけど、当時はスマホ環境の人が少なかったと思われる)、
思わぬ好評を博しまして、えっそんな面白い事書いたっけ、と過去の記事を見てみたら、
お、面白い!(自分で言うけど)
特に、ブログを始めた当初、小まめに書いていた頃の記事が面白い。
やはり”ブログ筋”ってあるんですねー。
くっそー、過去の自分に負けないぞーーーっ(笑)
そして、全部覚えがある出来事(当たり前かw)なのに、全部うろ覚えなのにも驚いた。
やっぱりブログっていいなー。

ってなわけで、2015年は更新が増えそうな予感です!
いろいろ書きたい事はてんこ盛りなのですが、
まずはこの連載の最終回を書きたいと思います。
2014年の個人的なパートナーシップへの気付きを書くシリーズ最終回!
「嫌われる勇気、が自分にあった事を思い出した36になった冬」

さてさて、2014年に周りの多くの人が読んで大絶賛していた、こちらの
「嫌われる勇気」
(画像を貼り付けたかったのですがやり方分からず断念・・)

そんなに面白いと言われるなら読んでみようかなー、と手に取ったところ、
これがとても面白く、あっという間に読み終わりました。
”アドラーの勇気づけ”については、友人が講座をやっていて、
面白そうだなーと思っていたので存在は知っていたのですが、
内容は全く知らなかったので、そういうことかーーー!と。
だから”勇気づけ”なんだなー、と。

一言で言うと、「世界はどこまでもシンプルであり、人は
今日からでも幸せになれる」という心理学の思想。
その思想を”こういうものですよ・・”とつらつらと述べるのではなく、
そんな思想は信じられない!という青年と、哲学者の対話方式で書かれていて、
それがとても読みやすく面白いのです。

本の紹介はこれくらいにして・・

常々、「世界は実はとてもシンプルなのではないか。
複雑化させているのは、”複雑化したい”という思考そのものなのではないか」
と思っていた私にとって、アドラーの心理学は
・・・・だよね、やっぱり!!というものでした。

自分の中に、いつからか分からないけれどずーっとあった、
『人はみんな、同じではないけれど対等だ』という思想。
これが故に、不遜な態度を(図らずも)取ってしまい、周りも自分もトラブルに巻き込んだ
事数知れず・・・
あまり日本社会には馴染まない考え方なのかもしれません。
『承認欲求が特にない』という思想。
これが故に、承認欲求を求める人を、(無意識のうちに)傷つけてきた事も。
『自由とは、他者から嫌われることである』
というこの本のキーワードにも、ぶんぶん頷きました。
何かを大切にすれば、何かを失う。
でも、失う事は荷物を降ろして軽くなることでもあるんだよなー、と。

ぶんぶん頷きながら、思い至った事がありました。
私がパートナーシップを築く事に難しさを感じている理由は、
私が”嫌われる勇気”を唯一持てない相手が夫だからなんだ、と。
そしてそこには、少女漫画の刷り込みで培った!?
『”好き”が全ての源』という考えがあるからなんだ・・!と。

とはいえ、それだけではなく、パートナーシップを築く、とは、
とても難しい、とアドラーも言っています。

(以下、引用)
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仕事、交友と続いてきた3つのタスクのうち、愛のタスクがもっともむずかしい。

一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、
恋ではあっても愛とは呼べない。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、
愛を実感することができます。
劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、
平穏な、きわめて自然な状態でいられる。
ほんとうの愛とは、そういうことです。

アドラーは言います。
「一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等の人格として扱わなければならない」と。

ただし、恋愛関係や夫婦関係には「別れる」という選択肢があります。
ところが、親子関係では原則としてそれができない。

いまの段階でいえるのは、逃げてはならない、ということです。
どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけません。
いちばんいけないのは、「このまま」の状態で立ち止まることです。
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難しくて当たり前なんだ。
そう思ったら、なんとなく肩の力が抜けた気がしました。
そうだそうだ、よこちゃん(マドレボニータ赤羽クラスの水口陽子インストラクター
パートナーシップに関する深い洞察、考察、表現で多くの人に影響を与えている)
も”茨の道”って言ってたもんね、って思ったり。

「好き」ですべてを解決できない、でも「好き」がよすがになっている部分もある。
何しろ相手があることで、自分だけではどうにもならない。
それを、”どうにかしよう”ではなく、”どうにもならない”でもなく、
安心して自由にいられる、心地よくお互いがいられるように、
試行錯誤していきたいなーーー!

って、夫はこのブログを読んでいないので、寝落ち回避して伝えていきたいと思います。


↓本文とは関係ないけど、冬の夕方の写真(会社帰り)
葉っぱが落ちた木の枝が夕焼け空に映えてとても美しい、冬ならではの風景です。


2015年1月12日月曜日

少女漫画の呪縛とパートナーシップ②

さてさて、2014年の個人的なパートナーシップへの気付きを書くシリーズ第二回です。

先日、こんな事がありました。

保育園にて、次男の左目が腫れていて痒そうにしていたとの事。
「明日、目医者に行って、登園許可をもらってから保育園に来て下さい」と言われ。
さてさて、私か夫、どっちが連れて行くか、という場面。

私「そんなわけで、明日の朝、目医者に連れて行かないといけないんだけど、どうしようか?
休める?」
夫「は?無理だよ」
(不機嫌そうに言った、と私は感じた)
 
(私の脳内ボイス:
『カッチーン!何当たり前みたいに無理、とか不機嫌そうに言っちゃってんの?
どっちかが連れて行くんだから、あんたが無理ならこっちが休み取って
連れて行く事になるでしょうが。そこに対する遠慮は無いのかよ、コラ!』)
私の脳内から即座に変換された言葉
「なんで怒った口調で「無理」とか言うの?夫が行けないなら私が仕事調整して行く事になるよね?それなのに、そんな風に当たり前みたいに不機嫌に言わないでほしいな」
夫「そんな不機嫌に言ったつもりなかったけど、ゴメン」
私「あ、うん」
(私の脳内ボイス『あ、なんだ・・、そんなつもりなかったんだ。
あっぶねー、危うく不用意にお互い気分悪くなるところだったぜ・・・』)

このやり取りをした後、
あ、コミュニケーション不調期から脱却してきたじゃん!
という気付きがありました。

言いたい事を我慢するでもなく、
不用意に思っている事をダダ漏れにするでもなく、
伝えたい気持ちをすぐに伝えられた!と。

この、”伝えたい気持ちをすぐに伝える”っていうことの繰り返し、
お互いの”今の気持ちや感じていること、考えていること”を
伝え合い続けることが、パートナーシップを育んでいく上ですごく大切なんだな、と。
喜怒哀楽も、どうでもいいような些細なことも。
その時に、「どう伝えるか」「どう伝えたいか」というのを、
日々模索していく。
誰かと一緒に過ごしていくって、そういう事なんだなー、
いい時も悪い時も、冷凍保存はできなくて、
日々関係性を更新していくものなんだなー・・という事を、
結婚8年目にしてようやく気付いたのでした。

というのは、
昨年の秋くらいに、”コミュニケーション不調期”があったのです。
今となっては詳しく思い出せないのだけど、
なんとなく夫婦間がギスギスした雰囲気で、
それは子ども達の体調不良対応で夫婦ともに疲れ切っていたのかもしれないし、
私が毎晩寝落ちしていて、夫婦の会話があまりなかったせいかもしれないし、
子ども達の甘えたい!に2人がアップアップしていたからかもしれないし、
私の担当の家事がひどい有様だったからかもしれないし、
そういうのが全部合わさったからかもしれない。
何となく私が夫に恐縮する事が多く、
”あ、これ言ってもいいのかな・・”とか思って黙っているうちに、
何から伝えればいいのか分からなくなってしまった。

♪何から伝えればいいのか
分からないまま時は流れて
浮かんでは 消えていく
ありふれた 言葉だけ♪

これも同世代ならすぐに浮かぶと思いますが、
小田和正の「ラブストーリーは突然に」の歌詞が頭を横切り、
そう、そうなんだよ、今まさにそんな感じなんだよ!
というかそれですごい居心地悪くて困ってて、
どうすればいいの!?教えて小田和正さん!!!
と思い、その先のストーリーを求めてGoogleで歌詞検索するも、

♪君があんまり すてきだから
ただ素直に好き、と言えないで
多分もうすぐ 雨も止んで 二人 たそがれ♪
と続く歌詞に、
・・・・・いや、「好き」とは言ってる、素直に!!!
そしてそれは2人の関係性を劇的に改善される何かではもうないんだよ!
参考にならねーーーーー!
と1人叫び、
あ、そうか。
そうなんだ、そういうことか。
「好き」って闇雲に伝えるだけじゃ、ダメなんだ。
だってそれは私の気持ちを言っているだけであって、
それはコミュニケーションではないんだ。
って事に気付き、これを受け入れるのに、なにしろ少女漫画脳なもんで、
けっこう時間かかりましたねー・・。

さて、今日はこのへんで。
次回は、「嫌われる勇気、が自分にあった事を思い出した36になった冬」です。

↓本文と関係ないですが、秋の紅葉の写真。


 

2015年1月4日日曜日

少女漫画の呪縛とパートナーシップ①

明けましておめでとうございます。
今年も細々と、このブログを綴っていきたいと思います。
その時々の発見や感動、感情を残していきたいなーと。
ほんとすぐに忘れちゃうもんで・・。

さてさて、以前から一部の人には予告していた内容、
2014年にえっそうなの!!と思った事を書いておきたいと思います。

話は私が小学校3年生だった頃に遡ります。
当時、1980年代は少女漫画全盛期といっても過言では無いくらい、
少女漫画バカ売れ時代でした。
特に一世を風靡していたのは「りぼん」
250万乙女のバイブルと言われており、私もその一人。
いつも「250万人も買う人がいるなら売り切れちゃうかも!」
と、小遣いを握りしめて発売日には本屋に走っていました。
「星の瞳のシルエット」「ときめきトゥナイト」「ちびまる子ちゃん」
「お父さんは心配症」「ハンサムな彼女」
今こうしてタイトルを書き連ねるだけでも胸が熱くなり、りぼんの思い出だけで
何時間も語れるのですが、それは置いておくとして。

「りぼん」から始まり、友達とコミックスを貸し借りしたり、
いろんな少女漫画を浴びるように読んでいた少女時代~高校時代。
(今でも大好きでよく読みますけどねー。最近は「KISS」の発売日25日が
大きな楽しみの一つです。)

そんな少女漫画の王道パターンは、
・バッタリ運命の人に出会う
(図書館で同じ本をふと手にとって「あ・・!」というのに一番憧れていた)

告白される、またはする
それまでに悶々と悩んだりちょっとしたトラブルがあったりする

両想いに・・・!
ちょっと喧嘩したり事件があったりしても、
「でも、好き・・!」って事をお互いに確認しあい、それでまた幸せに

ってやつだと思うんです。

この刷り込みに!
35歳になっても、まだとらわれ続けていたんだ・・!
という事に気付いた2014年でした。
割と本気で、
「好き!」って言ったら解決できると思ってた・・・・。
夫に新年早々そう話したら、
「問題解決になってないじゃん」とあっさり。
いや、そうだよね。
そうなんだけど、他の場面で考えると全くもってその通りなんだけど、
”好きって言ったら全部解決!”みたいな事が、
両想いの男女の聖域としてある、と私は思っていたのかもしれない・・。

散々マドレで「パートナーシップ」について語り、
健全なパートナーシップとはどういうものか、
その重要性について、そしてそれは茨の道だけどあきらめない事が唯一の解決策だ、
という事を幾度となく聞いていたのですが。
自分で言葉にもしていたつもりだったのですが、
いやーーー頭で理解していても、
私の中の少女漫画脳が分かってなかったし、体現できていなかったなー、と。
別に悪い事じゃない。
でも、少女漫画脳のままでは、健全な、対等なパートナーシップを築くのに、
自分が苦しくなってしまう。
少女漫画脳からのアプローチと、
パートナーシップを築くアプローチは、全く正反対な物だと思うので。

最近、「母の友」の連載、「2月の母たちへ」の一節
”呪縛というのは、自分がそこから解き放たれて初めて気づくものである。
呪縛されている間は、自分が呪縛されていることには気づかない。
他の選択肢があり得るということを知らない限り、そのやり方を疑ってみることはない”
というのを読み、
まさに!!と膝を打ちました。  

そんなわけで、呪縛がほんの少し解けた今、
改めてその呪縛とパートナーシップについて考え、
言葉にしていきたいと思います。

ご興味ある方、お付き合いくださいませー。

次回は、「小田和正の歌詞に答えを探そうとした35の秋」です。
お楽しみに!

*写真は、本文と全く関係ありませんが2015年初日の出です