2013年8月13日火曜日

二度目の産後、1年

昨日は、産後1周年記念日でした!
(昨日中にアップしようと思っていたのだけど、寝落ちしてしまったー)

想次も、小さく産まれたり、二回入院したり、なかなか食べなかったり、
ハラハラする事が多かったけど、小さいながらもたくさん食べるようになり、
元気に過ごしていてホッとしています。
 

↑バナナに夢中な今朝のショット

一年前の事を思い返すと、すごく幸せな気持ちになります。
出産の神秘に、ではなく(出産はあっと言う間だった)、
産後、産褥期を家族や友人に助けてもらい、
その助けによって、私たち家族が新しい『家族の形』を作っていく姿に
立ち会ってもらっていた、支えてもらっていたな、と思い返すので。

「産褥ヘルプ」と呼んでいるのですが、

「家族水いらずで過ごしてね~、落ち着いたら遊びに行くね!」となりがちな
産褥期(産後1ヶ月間、産婦が体を休めなくてはいけない時期)に、
ケーキではなく体に優しいご飯を持っていったり、
「赤ちゃんかわいいねー!」だけではなく、赤ちゃんの沐浴をしたり
ご飯作ったり洗濯物畳んだり、上の子がいれば上の子と遊んだり、
産婦とお喋りしたり、その”ヘルプ”を≪お祝い≫としてプレゼントする、という文化です。

一言では説明しきれないので、詳しくは、「産褥記2」を読んで頂ければ!
こちらのブログ(byもこちゃん)にも、かなり詳しく載っています♪

自分では出かけられない時期に、お祝いに会いに来てくれる。
外の風(とかご飯とか上の子の遊び相手とか(^o^))も一緒に。
ほんとに、最高の出産祝いだなぁって、私は感じました。

一人目の産後は、実家に里帰りして、それはそれで幸せに過ごしました。
慣れた場所だし、何の遠慮もいらないし、楽だし、親も喜んでいたし。

でも二人目は、いろんな人に助けてもらいながらも、
私と夫が中心となって、妊娠中に産後の手配をあれこれしたり、
話し合ったり、グーグルドキュメントでスケジュールを作ったり(といっても
2週間出産が早まって、作り直しだったけど・・(^^;)、上の子のケアをしたり。
共に産後を乗り切ったことで、ぐっと連帯感が強まったなぁ、と感じました。

あの産褥期があったから、想次の2回の入院も、当たり前に2人で対応できたのかも。

こういう話をすると、
「パートナーに理解があって(しかも具体的に動けて)いいね」
「友達がいていいね」
など、「あなたは恵まれている・・、でも私はそうじゃない」
という論調になりがちなんですが、
本当にそうかなあ?って思うんです。

私が恵まれている事は否定しないんですが(笑)、
少なくとも私は、自分の身体の快適さは貪欲に追及したいと思っているし、
そのためにできる事はなんでもしようと思っているし、
簡単にあきらめたくないなーって思っています。

1人じゃ妊娠できない。
これ、当たり前ですよね。
じゃあ、当然、子育てだって1人じゃできないし、
共に妊娠に向けてのアレコレをしたパートナーと、
一緒になって家族を作り上げていきたい。
でも、2人だけでなんとかしようとするんじゃなくて、
いろんな人の手を借りながら。
ってことを、”理想”として語ったり押しつけたりするんじゃなくて、
それを目指しながらすったもんだやっていきたいですよねー。
 
この産褥ヘルプ、経験すると、やたら還元したくなるし、広めたくなります!
 
でも、産褥ヘルプいいね!から、やろう!までには、
いくつかの壁というか扉というか、は、あるなー、と。
それを、扉と感じてほしいな、って思います。
壁は、登るか壊すかしか無いけど、扉はいろんな開け方があるから。
 
 
1年前の写真。
みんなー!ありがとうございましたーーー!!

ちなみに・・
出産祝いをもらったら、「内祝い」を贈りますよね。
私は、この産褥ヘルプの「内祝い」として、
マドレ基金に寄付しました。
そして、来てくれたみんなに、マドレ本(全部持ってそうな人には、
オススメ本)をプレゼント!
これ、我ながら粋だなーーー!!(自画自賛・笑)と思ったので、
これから産褥ヘルプを受ける人にオススメいたします!

2013年8月8日木曜日

自己肯定感4〜書を捨てよ、町へ出よう!〜

そんなこんなで、思春期真っ只中、変身願望を常に抱えながらも、家で本を読む事しかしていなかった私でしたが、高校の英語の先生(バックパッカーで、世界中を旅していた話をよく聞かせてくれた)の影響で、旅人や海外に興味を抱くようになり、高校2年の時、高校で主催していた、オーストラリアでの2週間のホームステイに行く事に。

家を出る事すらあまりなかったのに、2週間も海外へ!!
しかもホームステイ!
これはもう、帰ってきた頃は、英語ペラペラ、ネクラ返上、憧れのキラキラ女子(笑)に変身しているに違いない!
と、前日の日記に、
「さよなら、今までの私。」とか書いちゃうくらい盛り上がってました。

で、オーストラリアでの2週間。
楽しい事も、もちろんたくさんあったのですが、今思い出せるのは、ワラビーがダラダラしてた事とか、学校訪問で話した子はおとなしめな子で、オーストラリア人にもネクラな子(決めつけ(^^;;)はいるんだな、とか、砂糖工場の匂いとか。割とどうでもいい事ばかりなのは何故だろう。。
旅って、そういうところが面白いですね。

で、帰りの飛行機の中。
私は、すごい事実に気付きました。

「私。。変わってない!!!!」

機内の音楽プログラムでは、日本のヒット曲のチャンネルがあり、大好きなフミヤの「Another Orion」が流れていて、嬉しかった事と併せて、この時の気持ちを、すごくよく覚えています。

がっかり、とかじゃなくて、なーんだ!と、気が抜けた気持ち。
すごい事にチャレンジしたのに、全然変わってない。
自分がまるごと変わるなんて、そんな事はないんだなー、と。

今思えば、この時初めて、「自分を丸ごと引き受ける」事をした気がします。
そして、この時から、少しずつ、自己肯定感も高くなっていった気がします。
一足飛びではなく、積み重ねるように。

本を読んだりTVを見たり話を聞いたりするのとは違う、行動する事で気持ちが動く、という事も、この時に身を以て学んだ事。

この、帰りの飛行機での気付きから17年。
いろいろな人との出会いもあり、出来事もあり、今の自分が形成されているのですが、振り返ると、この気付きが一番大きかったな、と、ブログを書きながら思い返しています。

さてさて、この連載、まだ続きます!
次回は、読者からのお便りにお答えします。
こんなこと聞きたい!というご要望ありましたらぜひ(^o^)


2013年8月2日金曜日

自己肯定感3 思春期という闇

「人からどう見られているか、がそんなに気にならない。人の目から見た自分も、自分が思う自分も、両方自分。“自分らしさ”をコントロールしようと思っていない」という事も、自己肯定感が高い理由の一つだと思っていますが、そんな私が、人目ばかり気になる時代がありました。

それは、思春期!!!

もともと、父と一緒になって「ボロは着てても心は錦!」とか言ってたくらいなんで、オシャレとかには全く興味が無く、ダイエーで買ったNIKEのニセモノ、NICEのセーターとか、Goalway(カジュアルな服を倉庫みたいな所で売ってる店)で買った、なんかヘナッとしたカジュアル服を平気で着ていた私。(ある意味すごいセンス)
周りが徐々に色付き始めた頃から、自分のダサさを気にし始め、自意識過剰になっていきました。

平日は制服があるからいいけど、休日は何を着ていいか分からず、周りに笑われている気がして、同級生に会いたくない。
自分の顔も嫌だし、こんなに気にする性格も嫌だし、反抗期だから親とも話したくないし。
大好きな本や漫画を読んでいる間はすごく楽しいけれど、本や漫画の主人公みたいに、何かドラマが起きるわけでもない。
漫画だったら、眼鏡を外した途端に可愛くなったりするけど、私は眼鏡もしてないし。(そこか!?と、自分ツッコミ)
変わりたいけど変われない。
夏休みが終わったら、ステキ女子に変身しているはずだったのに、残った宿題を慌てて仕上げてるのは、全く変わっていない冴えない私。 

てな感じで、今でこそ、
「何の行動もしてないんだから変わりようがないじゃん!」とツッコミを入れられるのですが、当時は何しろ10代。
時間だけはたっぷりあるので、好き放題(笑)悶々として、同じように悶々としている友人と語ったり、ラジオを聞いて投稿したり、悶々とした10代が主人公の小説やエッセイ(林真理子の「葡萄が目に染みる」、大槻ケンヂの「グミ•チョコレート•パイン」など)に共感しまくったり。
思いの丈をノートに書き連ねたり。そこに写真や絵を貼り付けて、銀色夏生風にしたり、などしていました。

いろいろな本や漫画を読んだけど、本当は私自身が主人公になりたかった。
これからどこに向かい、何をするべきかを知りたかった。
どうしたら、理想とする姿になれるのかを知りたかった。
そもそも、理想とする姿すら思い浮かばなかった。
今の自分はその姿ではなく、一足飛びに“変身”したい、といつも思っていたし、何かのきっかけで、“変身”できるんだ、と思っていた。そのきっかけを、いつも待っていた。

そのきっかけは、自分が作るものだなんて、思いも寄らなかった10 代の私。
自意識過剰で、繊細で、それでいて貪欲に「何か」を求めている、それはおそらく思春期特有のもので、それを味わいつくした、とも言えるのかもしれません。

さて、次回は、そこから今に繋がるきっかけについて!
「書を捨てよ、町に出よう」