2013年7月31日水曜日

自己肯定感2 〜そのルーツ〜

さてさて、連載第二回。

まずは、自分のルーツから探っていきたいと思います。

私の母は、私とは真逆のタイプで、凝り性で、何事もきっちり丁寧にやり、それを相手にも求めるタイプ。 
専業主婦でしたが、朗読や読み聞かせのボランティア、コーラス、役員などで動き回り、私が小学校高学年になった頃から、塾の国語の先生を現在までやっています。
美術館巡りも趣味で、ぐるっとパスを使って、一番安く効率的な方法で美術館巡りをする事に情熱を燃やしており、いろんな情熱の燃やし方があるんだなー、と感心しちゃいます(笑)

何事もちゃんとやらない私に、ずいぶんヤキモキしてました。いや、現在進行形で、今もヤキモキしているような、諦めてるような(笑)

父は、団塊の世代の仕事大好きサラリーマンを全うし、退職後はキャリアカウンセラーの仕事をし、その職場が無くなってからは、社会保険労務士(だっけ。。)の資格を取る勉強の真っ最中。
私は父に性格がそっくり。
父も、自己肯定感高いタイプで、うっかりしていて忘れっぽく、物を無くしたり味噌汁こぼしたりするたびに母に怒られ、でも全然応えていない、という(笑)
着る物とかにも頓着せず、「ボロは着てても心は錦!」と言い、2人して小汚い格好をしていました(笑)

振り返れば、両親から「こうなりなさい、ああなりなさい」とかはあまり言われた事がない気がします。忘れてるだけかな(笑)

休日は、父と一緒に図書館に行ったり、母と一緒に新聞の間違い探しをやったり。
母のコーラスの練習を録音したテープ(マメマメマ〜、とか歌ってる)を聞きながら夕飯食べたり、父の会社の武勇伝の話を聞いたり、兄の部屋から「こち亀」や「大甲子園」を借りてきて読んだり。
そんな日常の積み重ねの子供時代でした。

不思議なのは、こうして振り返ってみると、単身赴任などで不在な事も多かった父の存在を、私はいつも感じていたという事。
おそらく、今の自己肯定感が高い私のルーツは、自分と似た性格の父と、正反対の性格の母、双方にそれぞれまるごとの自分を受け止めてもらい、育てられた事にあるのかな、と思います。

それは、「愛してるよ」と毎日言う、とか、そういう形式的なものではなく、何てことのない日常の積み重ねの中に感じる何か、であるような気がします。

そんな私に、思春期の闇が襲いかかる!次回は、暗黒のネクラ時代!

2013年7月30日火曜日

自己肯定感

YO-KING(真心ブラザーズ)、くろろん(マドレボニータのビッグマザー)と並んで、自己肯定感が高い事で(ごく一部で)知られている私ですが(笑)、それはどうしてなのか?と、よく聞かれるので、自分でも振り返ってみたいと思います。

まず、自己肯定感が高い状態ってどんな状態か?
私なりに解釈すると、
○自分は何ができるってわけでもないけど、何もできないって事は無いだろう、と思っている

◯いい事が起きた時や、褒められた時、必要以上に喜べる、調子に乗る、でも別に褒められる事に価値を置いていない

◯悪い事が起きたり失敗した時、必要以上に落ち込んだり自分を責めたりしない、というかすぐに忘れる

◯「ま、いっか」が口癖だけど、投げやりになっているわけでも諦めてるわけでもなく、淡々と事実を受け止めた、という意味

こんなイメージ。

「自分大好き!」とか、「オプティミスト!いつも物事のいい面を見て!」とかではなく、もっとアッサリした感じ。

さてさて、次回から、なぜそうなったのか、を、紐解いていこうと思います!